コーチング倫理(Coaching Ethics)
コーチが守るべき行動の基準のこと。守秘義務、利益相反や二重関係の回避、能力の範囲の自覚、必要な場合の他機関への紹介などが柱になります。
何を扱うものか
コーチングには統一された国家資格がなく、誰でも名乗ることができます。だからこそ、実践者が自ら基準を持つことの意味が大きくなります。主要なコーチング団体はそれぞれ倫理規程を公開しており、内容には共通する柱があります。
| 柱 | 内容 |
|---|---|
| 守秘義務 | 話された内容を外に出さない。例外の範囲を事前に説明する |
| 二重関係の回避 | 評価者・取引先・友人など、別の関係との併存に注意する |
| 能力の範囲 | 自分が訓練を受けていない領域を扱わない |
| リファー | 必要な場合に、他の専門機関へつなぐ |
| 契約の明確化 | 目的・期間・費用・記録の扱いを事前に合意する |
| 利益相反 | 自社の商品や講座へ誘導しない |
実務で迷いやすい場面
守秘義務の例外は、契約時に説明しておくべき代表例です。本人や他者の生命に関わる危険が示された場合、法令に基づく開示が求められる場合、スーパービジョンに事例を持ち込む場合——これらをあらかじめ伝えておくことで、後から信頼を損なう事態を避けられます。
組織が費用を払うコーチングでは、依頼主と対象者が異なります。上司や人事に何をどこまで報告するのかを、三者で最初に合意しておく必要があります。ここを曖昧にしたまま始めると、対象者は本音を話せません。
二重関係は、社内コーチングで特に問題になります。評価権を持つ上司が部下のコーチを兼ねる場合、部下が話す内容は評価を意識したものになります。関係の性質を明示し、扱わない話題を決めておくといった配慮が要ります。
治療との境界
最も重要な線引きが、コーチングと心理療法・医療の境界です。コーチングは、おおむね健康な状態にある人が目標に向かうのを支える営みであり、精神疾患の治療を目的とするものではありません。
次のような様子が見られる場合は、コーチングの範囲を超えている可能性を検討してください。
- 気分の落ち込みや不安が日常生活に支障をきたしている
- 睡眠・食事に持続的な不調がある
- 自傷や自殺に関する言及がある
- 過去の深刻な出来事が繰り返し想起されている
判断に迷うこと自体が普通です。迷ったときは自分で抱えず、スーパービジョンで相談するか、医療機関につなぐという方針を持っておくと安全です。リファーは失敗ではなく、専門性の一部です。
確認のための問い
- 「この話は、私が扱ってよい範囲の中にありますか?」
- 「いま話された内容を、私は誰に、どこまで伝えることになっていますか?」
- 「私自身の利益が、この提案に影響していませんか?」
- 「もし相手の立場だったら、この進め方に同意しますか?」
注意点
倫理規程を読んだだけでは、実際の場面で判断できるようにはなりません。具体的なケースを他者と検討する機会が伴って初めて、機能する形になります。
また、AIを使ったコーチングツールを併用する場合、記録の保存先、学習への利用、第三者への提供について確認が必要です。クライアントの発言をどのサービスに入力しているのか、本人が把握できる状態にしておいてください。
参考文献
- Passmore, J. (Ed.). (2021). The Coaches' Handbook: The Complete Practitioner Guide for Professional Coaches. Routledge.
- Palmer, S., & Whybrow, A. (Eds.). (2019). Handbook of Coaching Psychology (2nd ed.). Routledge.
- Iordanou, I., Hawley, R., & Iordanou, C. (2017). Values and Ethics in Coaching. SAGE.
